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ペリー・ローダン・ネオ (NEO)――雑考


違いをたとえていうなら

 Perry Rhodan NEO - Die Zukunft beginnt von vorn 「ペリー・ローダンNEO――未来は新たにはじまる」は「世界最長のSFシリーズ」Perry Rhodan-Heft の50周年記念企画として始まった新シリーズである。
 この Perry Rhodan NEO を早川書房が翻訳刊行するという。本年2017年4月27日付の早川書房のサイトの記事によれば7月20日から毎月1冊、まずは第1シーズン8冊。売れれば続きが出るのだと思う。それならば、と原書 Perry Rhodan NEO の情報をいくらか拾って記事をまとめた。そうしながらいくつか考えた。これはそのひとつである。

 Perry Rhodan NEO の第1スタッフェル(早川書房は「シーズン」としている)8冊をながめて Perry Rhodan-Heft を思う。どのくらい違うか。わかりやすく一言でいうとしたなら、どうか。けっこう地味に今日風にした印象である。たとえば……初代『ゴジラ』と84年『ゴジラ』くらいだろうか。たぶん『シン・ゴジラ』ほどは違わない。では、第2スタッフェルのヴェガ篇から第3スタッフェルのワンダラー篇は、どうか。大筋はなぞってあるといえなくもないが、まったくの新作である。印象はかなり違う。違和感もある。初代『宇宙戦艦ヤマト』と『宇宙戦艦ヤマト2199』くらい? それよりもう少し違う? だとしたら、第4スタッフェル以降は、どうか。初代『機動戦士ガンダム』と『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』くらい? そこまでは違わないか……こうしたわれながらツッコミどころ満載の思いつきを思いつきのまま開陳したところ、とある知人が曰く。「そんなら100冊以降は『機動武闘伝』とかじゃない?」……ああ、なるほど確かにそんな感じがする。というか、もう最初から全部『機動武闘伝Gガンダム』といっても良いかもしれない。『ゴジラ』でいうなら『FINAL WARS』である。
 これはあくまで個人の感想になるが、Perry Rhodan NEO という物語はそのくらいまったくすべて Perry Rhodan-Heft と別物である。


スタッフェルを何と訳すか

 Perry Rhodan-Heft では数十冊から百冊程度を区切って der Zyklus「サイクル」という。たとえば「第1サイクル 第三勢力」あるいは「第三勢力サイクル」のようにいう。これに対して Perry Rhodan NEO は8冊、12冊、16冊、10冊と区切って die Staffel「スタッフェル」という。辞書を引くと、この語には「リレーのチーム」や軍隊でいう「飛行中隊」の意が見える。だがどうしてわざわざ die Staffel なのか。ピンとこない。そこでもう少し調べると、ドイツではTVドラマ・シリーズの「シーズン」を die Staffel というようである。とすればたとえばこういう具合である。「ローダンNEO第1シーズン ビジョン・テラニア」……翻訳するなら「第1期」。早川書房も「シーズン」という言い方をする。
 これはあくまで個人の感想になるが、なるほど Perry Rhodan NEO には「シーズン」という区分けが似合う。それくらい当世風である。アメリカンなTVドラマっぽい薫りがする。四十年前に早川書房の「宇宙英雄ローダン・シリーズ」を介して出会った Perry Rhodan-Heft が醸していたあの一種独特の癖のある匂いがしない。

 さてところで、ここで困ったことがひとつある。このところ、Perry Rhodan NEO では、最初の100冊を Epoche 1、続く50冊を Epoche 2、そのあとを Epoche 3 というのである。これを翻訳するとやはり「第1期」「第2期」のようになって、die Staffel の「シーズン」あるいは「期」とかぶってしまう。この疑問を疑問に思うまま口にしたところ、とある知人が曰く。「だからオレは die Staffel を『部』っていってるよん」……ああ、なるほど「第1期・第1部 ビジョン・テラニア」としてみるとしっくりくる。

 こうした具合に Perry Rhodan NEO の die Staffel を何と訳すかという課題は解決した。腑に落ちた。そうしてところで、ここでふと思うのである。そういえばこれまで der Zyklus についてはまったく日本語にしようとは考えないで安直に英訳して「サイクル」とカナ書きしていたのであるが、これは翻訳しないで放置していて良いものか。いや良いはずがない。訳してみようではないか。
 der Zyklus には「周期」「ひとめぐり」転じてひとまとまりの「作品群」「連作」の意がある。大昔の若い私はこれを簡潔に日本語で表現するのは難しそうだとあきらめていたように思う。だが、今こうして歳を重ねてからあらためて考えてみたならば、さすがは年の功である。何のことはない。「巻(まき)」で良い。たとえば「第1巻 第三勢力」あるいは「第三勢力の巻」とすれば良いのである。もちろん、これはこれで「1冊」をいう「巻(かん)」とかぶってしまうのであるが、そこはふりがなを振れば何とかなる。あるいは先述の知人の発想にならうなら「1冊」を「巻」という、そちらの方を変えてしまえば良い。たとえば「段」……「Perry Rhodan-Heft 第三勢力の巻・スターダスト計画の段」くらいに言い換えてみるのもまた雰囲気が変わって面白い。


早川版NEOは誰に売れるか

 早川書房は本年2017年7月20日に「ローダンNEO」の刊行をはじめる。これははたして「宇宙英雄ローダン・シリーズ」のように売れるであろうか。少し考えてみた。
 まず今も「宇宙英雄ローダン・シリーズ」に興味をもって読みつづける人に売りこめば、それなりに売れるだろう。「あとがき(にかえて)」でうまく紹介すれば、「ローダンNEO」のとにかく1冊目は普通に手に取るのではないかという気がする。昔に「宇宙英雄ローダン・シリーズ」を読んでいて今はもうやめてしまった人にも売れると良いのであるが、やめたのにはもちろん理由があったはずで、そうした人を惹きつけて手に取ってもらうのはかなりの難題であるように思う。いずれにしても「宇宙英雄ローダン・シリーズ」の読者に売りこむことばかり考えても頭打ちであるから、あとはとにかく広く売りこんで多くの人に手に取ってもらうしかない。
 ならばどのように売りこむのか。早川書房は「全世界で累計発行部数10億部を超える、世界最長のSFシリーズ〈宇宙英雄ローダン〉」の「リブート・シリーズ」であることを前面に出して、本好きな人の興味を惹いてとにかくまずは1冊目を手に取ってもらう、というやり方でいくように見うけられる。手に取ってもらいさえすれば、あとは中身で勝負である。1971年に「宇宙英雄ローダン・シリーズ」が当時の日本の広い層の人々に受け入れられて成功したように「ローダンNEO」も2冊目、3冊目……と売れて売れつづけると良い。そこに期待をかけるわけである。だが、先述のとおり Perry Rhodan NEO には Perry Rhodan-Heft が醸していたあの一種独特の癖のある匂いがしない。「宇宙英雄ローダン・シリーズ」と同じようにして受けとめられて広く受け入れられるかは疑問である。
 「宇宙英雄ローダン・シリーズ」にはそれ固有の読者がいた。他にSFのような娯楽小説はあまり読まないのにこのシリーズだけは読みつづけた人がいた。どれほどの数がいたかは知れないが、いたことは確かである。1995年からこのシリーズにかかわるウェブサイトを開いていた私は過去に3回、そうした故人の遺族の方から連絡をいただいてそうした遺品の整理に手を貸した経験がある。こうした熱心な読者に支えられてこそ「宇宙英雄ローダン・シリーズ」は長く堅調な売上げを維持してきたのであろうと思う(ちなみに私が預かった遺品のシリーズ3セットのうち2セットは「宇宙英雄ローダン・シリーズ」の翻訳者のもとへもらわれていって、これまた別の形でシリーズを支えることになった)。先述のとおりまったくすべて別物である「ローダンNEO」にこのような読者がどれだけつくかは、まったくどうにも測りようがない。


 こうして雑考をつづって明けたところへ訃報が届いた。
 ドイツの元首相ヘルムート・コール氏が昨日6月16日に87歳で亡くなったという。Perry Rhodan-Heft は東西冷戦下の1961年に西ドイツではじまった。核戦争をとめて地球人類をひとつにするローダンを描いて好評を博した。コール首相は1990年に東西ドイツを統一した。2011年に Perry Rhodan NEO がはじまり、2017年にこれが日本で刊行される。そして私がNEOにかかわる駄文をまとめ、そこにコール氏の訃報が届いた。
 それぞれ別に何がどうつながるというものでもないのであるが、符牒をたたみかけるようなこうした展開は小説でも現実でも何だか妙にぐっとくる。


2017/6/17 y.wakabayashi / rlmdi.